バリキャリ思考の自分が仕事を辞め、自分に価値がなさすぎて落ちまくっている日のこと
会社を辞めた年の2019年9月に書いた記事をリライトしました。
育児に仕事に追い詰められて逃げるように会社を辞めた後、辛かった仕事を辞められてウキウキな日もあれば、何も生み出せていない自分をゴミのように感じる日もありました。
たった4年前なのですがそんな日もあったなぁ…と、懐かしかったのでリライトしました。
自分の信じていたものを自分の決断で否定することになると、こんな風に気分が落ち込むこともあるよね、と悩む方の励みになれば。
今思えば、追い詰められてしまった理由はきっと違うところにあったんだろうな、と思うのですが、当時はそう思っていたんだな、と生々しくも、そんなモヤモヤを経て今の自分があるんだなぁ…と、しみじみしたので、考えていた内容はそのままにしました。
社会人までの自分を振り返って
元々気持ちの浮き沈みの激しいタイプです。
辛すぎた仕事を辞められて1ヶ月前はウキウキだったのが、ここ数週間はずっと悶々と悩んでいます…。
私の人生は一体何だったんだろう…そんなことをずっと考えています。
子どもの頃は、親に“男の子に負けるな”と何度も言われ続け、人に飽きる程言われる内、刷り込みのようにそれが自分の本当の気持ちのようになってしまいました。
中学時代は、友達関係に悩みながら、卒業の日までを指折り数えながら登校していたこと。
高校時代は、優秀すぎる周りに囲まれ、挫折を味わいながら、何とか受験を乗り切ったこと。
大学時代は、学生生活と就職活動はずい分不真面目でしたが、就職後は社会人としての自覚をようやく持ち、成果を上げようと努力したこと。
転職先でも散々苦労して、3年が経つ頃ようやく仕事をしている感覚をつかめたこと。
などなど、それなりに頑張ってきた人生だったと思います。
先輩女性が切り拓いてくれた道を継がなければ
仕事をするということを覚え、自分はこの会社に骨埋めするんだと思い続けた、いわゆるバリキャリ思考でした。
世の中の流れとしても女性活躍推進政策と相まって、自分が働き続けることが時代を変えることにもつながると本気で思っていました。
自分の以前の職場の先輩女性達を見ていて、不思議に思ったのは、私より一世代上の彼女達は結婚しているが、子どもがいないということ。
もちろん私の職場は一例に過ぎないのですが、私はそこに日本の職場の縮図のようなものを見た気がしていました。
私の親の世代は女性は寿退社が当たり前だった時代。
私達より一世代上の女性達は、女性が結婚しながら働き続ける世代。
そして私達世代は、子どもを産み育てながら働き続ける世代。
勝手にそう思い込んでいました。
先輩女性達が、子どもを持ちたいという個人の希望を切り捨てても、キャリアの道を切り拓いてくれた。
私達はその道を引き継ぎ、更に下の世代につなげなければ、と本気で思っていました。
一人一人は小さな軽い存在だけれど、時代の変わり目に立っているんだと、女性達一人一人が自覚を持って働くことこそ大切なことだと思っていました。
キャリア女性といっても背景や事情、価値観は様々
ただ、育児と仕事を両立させようとすることは当時の私には不可能でした。
朝は5時30分に起き、イヤイヤを連発する子どもを保育園に預ける頃にはヘトヘトになり、そこから仕事をして18時に帰宅。
お風呂、食事、片づけをして寝かし付けは22時過ぎ。
そこから仕事の続き。
休日は1日中子どもの相手で、親自身の休日や自分の時間はほとんどない。
シャンプーの洗剤を詰め替える余裕さえない。
ようやく、“キャリア女性”と一口に言っても、それぞれの女性が持つ背景や事情・置かれた環境・性格・感じ方もそれぞれなんだということを自覚しました。
私のように、親が遠方で、孤立無援で子育てをする世帯もあれば、
同居とまではいかなくても、首都圏に親が住んでいて、支援してもらえる世帯、
旦那さんが専業主夫の家庭もあるだろうし、
そもそも子どもを産まない選択をした世帯もある。
シングルマザーや子どもが優先順位の一位でない人、というのも当然いる。
加えて職場での制度の整備状況や風土、自分と同じ属性の人・仲間が周りにいるか、というのも大きい。
子どもにはそれなりに手をかけ時間をかけて育ててあげたいと考え、親が遠方で日々助けてもらえる余地のない私には、働きながら子育てをするということはもう不可能だと思いました。
仕事を辞める決意:好きでもない仕事のために家族を犠牲にしている
育休後、職場復帰したは良いものの、子育てしながら働くことに限界を感じ2年で仕事を辞めました。
働くんだという立派な気合いはあっても、体がついてきませんでした。
これまでかかったことのない病気に次々とかかり、働かなきゃ、という気持ちはあっても動くことができない…。
まだ昼夜の区別もつかない子どもに夜中に何度も起こされ、十分な睡眠を取ることができない状態でバリバリ働くなんて、生物学的に不可能でした。
人間は休まなければ倒れるということを、身をもって知りました。
実家など、支援を頼める人も近くにはいませんでした。
1歳を過ぎ、夜泣きは減ってきたけれど、この日時までに終えなければいけない仕事のタスクやストレス、疲れも当然あるのに、全く思い通りに進まない家事&育児。
夫はかなり協力的な人だけれど、それでも余裕のなさすぎる日々に始終イライラし、怒る必要のない大したことのない子どものイヤイヤにキレ、夫に当たり散らしていました。
自分は、好きでもない仕事のために、家族を不幸にし、犠牲にしている――
ようやくそう自覚し、悩みに悩んだ末、仕事を辞めました。
会社の肩書を失った途端、何もできない自分
そして、やってきた無力感――
〇〇株式会社の△△という肩書を失い、“世の中”という大海に放り出された今、私のスキルとは何だったのか…?
10年以上も営業一筋に働いてきたのに、企業の肩書を失った途端、今、自分一人では何も生み出すことができない。
企業というネームバリューを与えられて、先輩社員にノウハウを惜しげもなくいただきながら、失敗も許されながら、お給料をもらっていました。
それが企業に勤めるということ。
今更、そんなことを認識しました。
襲ってくる無力感
仕事を失い、家事&育児をするだけの無駄としか思えない毎日。
ただ消費するだけで、何も社会に還元できていない。
やることと言えば、朝の子どもの世話・送り出し、夕食作り、帰ってきた子どもの世話、ちょっとした家事。
「三食昼寝付き」と言われる立場で、特に何も生産していないのに、夜、睡魔が襲ってくることに対する罪悪感。
この料理を、この洗濯を、この掃除をアウトソーシングしても、夫も子どもも誰も気づかないだろう。
食事も、洗濯も、掃除も、私じゃなくても誰にでもできること。
子どもと向き合うことは私や夫にしかできないことだけれど、別に“母親”でありさえすればできることであって、この人生を生きてきた私である必要はない。
私じゃなくてもできる家事をする主婦になるためだけなら、これまで頑張ってきた私の人生に果たして意味などあったのか。
主婦の苦労や価値を全然理解できていないとは自覚しつつも、人間に本来備わっている能力で、誰にでもできることなんじゃないのか。
子育てに、そんなに価値があるのか。
一体何が、対価として返ってくるのか。
子どもはいずれ巣立つ。その時、私に一体何が残るのか。
今やらなくても良いこの家事を、今やることに一体どれだけの価値があるのか。
私の人生は、一体何だったのか。
散々苦労して生きたのに、結局、子育て・家事に終結し、子どもが巣立った後は、私には何も残らない。
子どもが笑っているだけで幸せなんて、そんな純粋じゃない。
どこまでも湧いてくる不安―金銭面
夫の給料は決して少なくはないけれど、毎月の貯金分を確保したらほとんど残らない。
今年はまだ去年のものが着られるけれど、ぐんぐん大きくなる来年の子どもの服は?
決してたくさんは要らないけれど自分の服だってたまには買いたい。
遠い実家に年末にみんなで帰ったら?
ずっと共働きの想定で組んだ年払いの保険金の支払いをする4月は?
想定外の出費は意外と多い。
どこまでも湧いてくる不安――
「女性活躍推進・一億総活躍」と言う「活躍」って、何だろう…?
テレビを点ければ、「少子化の今こそ女性の働き手を」「家庭に眠る優秀な女性を」活用しようと様々に政策が打ち出されているけれど、私はその役に立てていません。
その対象にもなっていません。
「女性活躍推進」、「一億総活躍」の「活躍」って、一体何だろう…?
幼児教育の無償化や待機児童対策は打ち出されるけれど、収入のあった働いていた頃に“お金”の支援は要りませんでした。
欲しいと思ったものは考える時間の余裕すらなく、思い付いたらすぐに買っていたから。
それは“買う”という行為が、問題を解決できている感じがあったから。
もっと別のモノが必要で仕事を辞めたのに、仕事を辞めたら保育園の補助金は打ち切られ、必要だと思うようになったお金の補助の対象から外れる矛盾――
他人にできる家庭のサポートはお金ぐらいですが、本当に必要だったのはお金じゃなかった…。
自分のキャリアに悩む世代
一つの会社に勤め続ける時代は、とうに終わりました。
同世代の友人達は、ベンチャーを立ち上げたり個人名で仕事を取ったり、会社勤めの後自分なりにキャリアを形成していて、すごいなぁ…ととても遠い存在に感じてしまいます。
もちろんそこに至るまで、何年もかかっているのですが。。
こうして悩むことが私達世代の宿命なんだろうか…。
それにしたって先が見えなさすぎる…。